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身近な仏教用語

普請(ふしん)

演説

家を建てたり改築したりするとき、よく「普請」という言葉を使います。「道普請」という言葉もあります。普請とは、建築とか土木工事のことを言うようです。
普請は、仏教では、功徳を普く請いねがうという意味で、ひろく寄付をつのり、労役に従事してもらって、お堂や仏塔などの造営、修理をすることなのです。
それがその後、一般家庭の家屋などを建築したり修理する場合にも、使われるようになりましたが、最近では、住宅ローンで資金を借り入れて建築することが多くなったせいか、あまり普請という言葉は聞かれなくなりました。

(辻本敬順先生著・仏教用語豆事典より)

演説(えんぜつ)

演説

参議院議員の選挙です。全国各地では、毎日、数多くの選挙演説が行われます。仏教では、教えを演(の)べ説くことを「演説」といいます。ですから演説はいろいろな仏典に登場する語です。

例えば「世尊、我等を哀愍(あいみん)して演説し給へ」(華厳経)、「仏、一音を以って法を演説したもうに」(維摩経)、「世尊、法を演説し」(法華経)、「一切の経典を宣暢し演説す」(無量寿経)という具合です。

いずれも、お釈迦さまが真理や道理を、人々に説きあかしているのです。

そこから、多くの人びとの前で、自分の主義主張や意見を述べることをいうようになったようで、街頭演説、応援演説、演説会場、演説口調など、すべてこの意味です。

また、講義し演説することを、講演ともいい、これもまた、日常よく使われる言葉です。

選挙中の候補者や応援弁士の皆さん、演説とはこんな意味ですので、ぜひ真実を解きあかしてください。

(辻本敬順先生著・仏教用語豆事典より)

印(いん)

印

年度末や年度初めには「ハンコ」を押す機会が多くなりますね。

印は古代インド語で「ムドラー」といい、標章を意味する言葉です。

仏教の教えの旗印、スローガンを「法印」といいます。諸行無常、諸行無我、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の三教説を三宝印。これに一切皆苦(いっさいかいく)を加えて四法印といいます。

仏像を拝むと、左右の手や指で、種々の形をつくっているのに気がつきます。中には、持ち物がある像も見受けられます。仏や菩薩がその悟りや誓願の内容を具体的に表したもので「印相」といいます。手や指で表すのを「手印」といい、密教では特に重んじているようです。「印を結ぶ」という言葉もあります。

禅宗などでは、弟子の悟りを認めることを「印可」といいます。そこから芸道などで、師が弟子の熟達に対し与える証明のことになりました。

このように、「印」は大切なしるしです。ハンコを押す時には慎重にー。

(辻本敬順先生著・仏教用語豆事典より)

学生(がくしょう)

学生

仏教では、学生は「ガクショウ」と読み、学匠とも書きます。もとは寺院に奇寓し、仏教以外の学問を学ぶ者に名付けられたようですが、日本仏教会では、仏教を学ぶ者に用いています。

真言宗の金剛業学生、胎蔵業学生や、海を渡って大陸に学ぶ人を留(る)学生、学んで帰国した人を還(げん)学生という具合です。

学者も学徒も、もともと同じ意味でした。比叡山を開いた伝教大師は、山内で学問をする学生たちの学則ともいえる『山家学生式(さんげがくしょうしき)』を著しています。

比叡山の衆徒は、学生である大衆と、一山の雑務を担当する堂衆とに分かれていました。

親鸞聖人は堂僧であったと伝えられています。常行堂に奉仕しながら、常行三昧を修める不断念仏僧だったようです。

いずれにしても、学生とは学問に従事する生徒のことですから、しっかり学問してくださいよ。

(辻本敬順先生著・仏教用語豆事典より)

蒲団(ふとん)

蒲団

坐禅(ざせん)の時などに、お尻に敷く敷物があります。直径30センチぐらいの円形でその中に蒲(がま)がつめられているものです。蒲の葉で編んだものもあります。これが、[蒲]の葉の[団]円、つまり、文字通り蒲団なのです。

現在、皆さんが使用されているふとんは、布団と書いて寝具です。敷きぶとんとか、掛けぶとんとか呼んでいます。そして、座る時に使うものには、わざわざ座ぶとんという名をつけています。しかも、常識的には四角形なのです。仏教の用具だった丸い座ぶとんが、四角形になり、いつの間にか寝具となっていったのですから、この変化は、まことにおもしろいですね。

(辻本敬順先生著・仏教用語豆事典より)

玄関(げんかん)

玄関

家の正面の入り口を「玄関」と呼んでいます。表入口という意味なのでしょう。みえを張って外観だけを豪勢にみせようとすることを「玄関を張る」といい、面会させないで客を帰らせることを「玄関ばらい」といいます。

この玄関が仏教語なのです。本来は建物の名前ではなく、玄妙な道に入る関門という意味で、奥深い教えに入る手始め、いとぐちを指していました。「禅門に入る」などがそれです。

この仏教語が建物の名前となり、禅寺の客殿に入る入り口を指すようになりました。

やがて、室町時代から桃山時代にかけて盛んになった書院造りに、その形式がとり入れられましたが、まだ庶民住宅には造ることを許されていませんでした。

江戸時代になって、民家や一般の建物にも広まり、明治以降は現在のように、正面入り口を呼ぶようになりました。

(辻本敬順先生著・仏教用語豆事典より)

縁起(えんぎ)

縁起

チューリップの花は、その球根から咲きます。球根が原因(因)で花は結果(果)です。しかし、球根だけでは花は咲かず、温度・土質・水分・肥料・日光・人間の細心最新の手入れなど、さまざまな条件(縁)が球根に働いて花は咲くのです。

このように、すべてのものには、必ずそれを生んだ因と縁とがあり、それを因縁生起=縁起というのです。現実には、因と縁と果とが複雑に関係しあい影響しあって、もちつもたれつの状態をつくっています。『阿含経』に「これある故にかれあり、これ起こる故にかれ起こる、これ無き故にかれ無く、これ滅する故にかれ滅す」とあります。

日常、よく「縁起が良い・悪い」という言葉を聞きます。吉凶のきざしという意味なのでしょうが、本来は、他の多くのものの力、恵み、おかげを受けて、私たちは生かされているという、仏教の基本的な教えなのです。

(辻本敬順先生著・仏教用語豆事典より)

迷惑(めいわく)

迷惑

「ご迷惑を、おかけいたします」「迷惑千万だ」から「近所迷惑」「迷惑駐車」まで、迷惑にはいやなめにあって、困ることを意味する日常語としてよく使われています。

迷惑は、もともと、道理に迷い、とまどうことで、どうしてよいか分からないで、途方にくれることを意味していました。

親鸞聖人は、仏の慈悲に包まれて、仏の力に生かされながら、なおも愛欲の絆にしばられ、名利を求めてさまよう自分に対する深刻な内観から、「悲しきかな、愚禿鸞ぐとくらん、愛欲の広海※1に沈没し、名利の大山※2に迷惑して……」と『教行信証』に記しておられますが、その迷惑がまさしく、この意味なのです。

(辻本敬順先生著・仏教用語豆事典より)

  • ※1. 愛欲の広海=愛執・恩愛が深いことを海に喩えていう。
  • ※2. 名利の大山=名誉心や物質的欲望が大きいことを山に喩えていう。