「心に響いた言葉」のコーナーを設けたが1年で更新したのはわずか3回。この間、決して心に響く言葉がなかったのではない。あったけど忘れてしまったのである。そこで気になったのは今うわさの脳年齢。さっそく子どもが持っている任天堂DSの「脳を鍛える大人のトレーニング」通称・脳トレを借りて脳年齢をチェックしてみたところなんと60代だった…。
忘れてしまったのはそのせいかと思い、さっそく脳トレの毎日。おかげで今は31才まで若返った。実年齢より10才若くなり気を良くしたところで「心に響いた言葉」を「新米住職つれづれ日記」に改題し、ブログで再スタートすることにした。こうご期待!
新米住職つれづれ日記:http://blog.livedoor.jp/honseiji/
おかげさまで
年末に読んだ本の冒頭に書かれていた詩です。作者は不明だそうですが、今年一年この気持ちを忘れず過ごしたいものです。
夏が来ると冬がいいという
冬になると夏がいいという
太るとやせたいという
やせると太りたいという忙しいと閑になりたいといい
閑になると忙しい方がいいという自分に都合のいい人は善い人だとほめ
自分に都合が悪くなると悪い人だと貶す借りた傘も雨があがれば邪魔になる
金をもてば古びた女房が邪魔になる
世帯をもてば親さえも邪魔になる衣食住は昔に比べりゃ天国だが
上を見て不平不満に明けくれ
隣を見て愚痴ばかりどうして自分を見つめないのか
静かに考えてみるがよい一体自分とは何なのか
親のおかげ 先生のおかげ
世間様のおかげのかたまりが
自分ではないかつまらぬ自我妄執を捨てて
得手勝手を慎んだら
世の中はきっと明るくなるだろうおれが おれが を捨てて
おかげさまで おかげさまで と暮らしたい
小さい勇気
ある本で読んだ東井義雄さんの詩です。東井さんは兵庫県の僧侶で、小学校の校長先生を長年されていた方です。この詩は昭和44年、地元の小学校の卒業式で読まれたもの。当時はテレビの影響で宿題をせず、夜更かしをする児童が増えたという時代背景があったそうです。
小さい勇気をこそ
もう五分くらい寝ていたっていいじゃないかと わたしを誘惑するとき あたたかい寝床の中にひそみこんで わたしにささやきかける小さい悪魔を すぐやっつけてしまえるくらいの 小さい勇気こそ ほしい
明日やればいいじゃないか 今夜はもう寝ろよと 机の下からささやきかける小さい悪魔を すぐやっつけてしまえるくらいの 小さい勇気でいいから ほしい
紙くずがおちているのを見つけたときは 気がつかなかったというふりをして さっさといっちまえよ ささやきかける小悪魔を すぐやっつけてしまえるくらいの 小さい勇気でいいからわたしは ほしい(スペースの都合で半分省略)
先日のこと、このホームページを見て、知らない方からメールが届きました。他宗教に関する質問の数々。放っておこうか……。でも一生懸命調べて、返信しました。勉強になりました。「小さい勇気」は私のためのものでした。
「叱ってくれる人がいなくなって寂しいですね」
1月8日に父である前住職が73歳で往生しました。お通夜やお葬儀には、知らせを聞いて、たくさんの方が来て下さり「おさみしいことですね」「お世話になりました」など心のこもった言葉をかけてくださいました。ただ、当日は慌ただしさにまぎれ、なかなかその現実を受け止めることができませんでした。
最近、門徒さんとの連絡や、お寺の事務などをするようになって、ふと気になりだした言葉が「叱かってくれる人がいなくなって寂しいですね」です。今から20年前、祖父が亡くなり、その満中陰の席で父が門徒さんに話していたときに聞いた言葉です。葬儀に参列できなかったあるご住職から送られてきた手紙に書かれていた言葉だったと思います。その話を聞いて涙を流していた親戚の祖母の姿が目に浮かびますが、当時20歳の私にはピンとこない言葉でした。
親からであっても他人であっても、叱られるということは嬉しいものではありません。しかし、かつては地域社会の中で、近所の人が愛情を込めて他人を叱るということもあったでしょうが、それが無くなった現代、子を思って叱ってくれるのはやはり親です。
時間の経過とともにすっかり忘れていた言葉でしたが、父が亡くなった今、20年の時を超えて、ようやく心に響いた言葉となりました。